メインテーマ・第2幕

ピザパイの思ひ出 2022/11/23

 このコラムは「メインテーマ」の「郷ひろみ・”裸のビーナス”の思ひ出 2022/02/27」の続編で  す。オイラの幼なじみである「細田君」が関連・登場するエッセーですので、そちらを先にお読みく  ださい。
 ジョギングの趣味・日課はほんの7年前に始まったばかり。生まれて初めて皇居ランに挑戦し、  その直後に朝飲みの為に営業中の飲み屋を捜して地下鉄駅で下車したのが恵比寿駅。目的  の、朝っぱらにオープンする居酒屋は恵比寿駅の西口に簡単に見つかった。恵比寿駅の東口 な んか、オイラには全く用の無い近未来都市だが、西口は何処か懐かしい気がした。狭く入り組 ん だ路地と坂。

















 昭和48年(1973年)夏。細田に千葉の泊りでの海水浴に誘われ、「裸のビーナス」がラジオから  流れっぱなしだった記憶が残る日から半年が過ぎた冬の季節。細田が母親と共に住まいから消  えた。数日後、通学班が一緒という理由で、オイラが職員室に呼び出された。が、行方や事情な  ど知るはずもない。住み込みの塗装工場に、オイラが尋ねに行く筋も無い。
 1〜2週間後、母親と共に姿を現した細田。正式な転校の手続きに来たのだった。そして、今度  の日曜日に引っ越し先に遊びに行く約束を取り交わした。引っ越し先は恵比寿駅西口から徒歩  10分程のアパート2階。オイラの母親も、細田の母も今で言うママ友。突然、数週間も姿を消した  のだから話が弾まないハズがない。アパート部屋から近所のレストランに舞台が移った。
 考えてみれば、当時の我が住まいなんて桑畑や芝畑だらけで、ヒバリが至る所でピーチク・パ  ーチク鳴く田舎。そんな田舎から東京のど真ん中に生活圏を変えて適応した細田を尊敬した。 恵 比寿なんて、「太陽にほえろ」の「新宿七曲り署」の近くではないか! 毎週毎週殺人が起きる 恐 ろしい土地だ。
 レストラン? 食堂ではない、レストランって一体何者だ! 恥ずかしながら、オーダーなんてこ っ ちに振られても困ってしまう、細田親子のおまかせで。
 「じゃあ、ピザパイ食べる?」と、細田。
 「いいよ」と、オイラも我が母も肯定する返事のみ。勿論、何の根拠もない。心の中で、「何だ!  パイって? ピザとか言ってたな」。
生まれて初めて見たピザパイ。お好み焼き? いや、ナイフとフォークだよ。伸びるのは何? チ  ーズが熱くて、伸びるよ! 何、このソース! 美味すぎる! タバスコなるものも初めて目にし、  嗜めてみた。が、こりゃイカン。因みに、59歳になった今も、タバスコは絶対に使いません。
 若干10歳にして味を知ってしまったピザパイ。勿論、我が生活圏に洋風レストランなんかある 訳 ないのですが、天下のイトーヨーカ堂に冷凍品でピザパイがあり、早速買って帰りました。電 子レ ンジやオーブン・トースターなんか無い時代だったので、フライパンで温めました。恵比寿で 食べ たピザパイと同じまろやかな味。
 今でも大好物のピザパイ。でも、宅配ピザによくあるように、トッピングがやたらゴージャスだっ  たり、ソースがピザ・ソース以外のは嫌ですね。ピザパイの具はサラミとピーマン、チーズとピザ・  ソースで味わうのが一番です。ガストのマルゲリータが似てるかな?
 このコラムでは、ピザパイ、ピザパイって散々言ってきたけど、昔はパイって付けました。昨今 じ ゃ、単にピザ、酷いとピッツァとか。「パスタ」だって、我が家じゃ通じません。
 細田とは、この日を最後に音信不通です。オイラよりも2級の上級生。千葉の海水浴で一緒だ  ったオジサンと暮らす為に恵比寿に引っ越したのか?は不明です。今回、恵比寿駅西口を歩い  てみて、昭和48年当時の細田のアパートとピザパイを食べたレストランを捜しましたが、全くの無  駄骨です。一回きり行った記憶だけじゃ、どうしようもありません。ただ、路地の雰囲気は当時の  面影を残していました。半世紀前の面影です。

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